ボッカとロッカ

This is a work of fiction.

27

「それから、ママは隣町の大きな病院に入院したの。みんなはくわしく話さないけど、どうせ男関係だろうってわかってる。もちろん私は娘らしく、知らないそぶりをしているけど。会いに行きたいか聞かれて、私、いいって言っちゃった。親不孝だと思う?だって、傷だらけのママに会ったら私泣いちゃいそうだし、私、泣くのって、大嫌い。ママがケガしてるって思わなければ、いつもの毎日。よくあるマーシャとのたのしいふたり暮らし。でしょう?そうなのよ…」

 運転士がクラクションを鳴らした。ベンチの上で、ロッカはそちらを見る。私?と自分を指差すと、運転士は頷いて手招きした。ロッカはボッカに、ちょっと行って来るね、と言って、走った。ロッカは運転席を見上げた。

「お別れはすんだかい?」運転士は尋ねた。ロッカは目を丸くした。

「ボッカは今日で、この町を去るんだろ」

「聞いてない」ロッカの声は震えた。

「俺だって、聞いちゃいないけどさ」

ロッカはベンチを勢いよく振り向いた。そして、しょいこに荷物が括り付けられているのを見る。あれは、彼の私物だったのだ。

「ロープウェーの計画が、一気に進んだろ。どこかの誰かの寄付のおかげでな。それで工事のためにあの山に人が入ったり足場を組んだりするから、ボッカのお役はご免なんだとさ」

運転士は、ロッカの瞳の中に悲しみの色が充ちて行くのを見て、「ま、今日のバスは、遅れ気味さ」と言って、エンジンを切った。

 急に訪れた静けさの中、ロッカの心は静止した。ボッカがこちらを見ている。ロッカは突如彼のもとに走った。勢いあまってぶつかりそうになりつんのめって、地面につっぷすすんでで、ボッカは彼女を両腕ですくいあげた。二人は向かい合った。

「いま」ロッカは口を開いた。「頭ん中が、からっぽよ。つんのめって、文字がぜんぶ、地面にこぼれでちゃったみたい」ロッカは口を開いたまま、言葉が産まれて来るのを待った。ボッカもそれを待つ。

「とつぜんのことで」ボッカは、わかるよ、といったように、頷いた。うそ、わからないくせに。「どう、うけとめていいものやら、どう、言っていいものやら、でも、そう…」ロッカは自分がへらへら笑っていることに気がついた。ボッカの表情は崩れない。「あのバスに乗ったら、おしまいって、ことなのね。そっか、じゃあ、はやく、手紙も燃やさないと…」

ロッカは大きく息を吸い、明るい声を出す。

「傷つかないきつつき、傷つかないきつつき、傷つかないきつつき」一気に言って、へらりと笑う。「この早口言葉ってほんとは、傷つかないきつつき、だけじゃないの、知ってた?傷つかないきつつき、きつすぎる器具付き、気付かない切り傷。でも私はきつつきの部分だけが好きで…ま、いいんだけど、そんなこと。でもそんなこといったら私の話ってぜんぶそんなかんじ、まっいいんだけどそんなことってそんな話しかないし」

ロッカはとにかく二人間にある隙間をなにかで埋めたかった。しかし彼女には、そんな話は見当たらなかった。

「今度…今度は、蜘蛛の巣をその背負子の先に引っ掛けて…そこにいろんなものをからめて来てね、おみやげに、キラキラしたものとか!ガーランドやスパンコールや羊の毛や花火の燃えかす、舐めかけのキャンディーなんかも。ズルズルと引っ張ってきたら、それはやがて幕になるわね、あなたがこの町にその幕を引くの、そしてこの町をくるみ、そのテントの中で私たちずっと夜の中身、みんなサーカスみたいに暮らすわ、ね、私の言っていること、いつもより一層わけがわからないでしょうけど」

ボッカを見つめるロッカの瞳から、新しい惑星が浮かび上がる。

「だってだれかとお別れするなんて、はじめてだから、どうしていいか、わからない」

透明の惑星たちが、うまれては、ロッカの頬を流れていく。すると、ボッカの唇が切り開かれ、そこから、音が発せられた。

「マタ オ アイ マ ショウ」

素っ頓狂な甲高い、妙な声。呪文?とロッカは思った。ボッカの唇のはじが切れて血がにじんでいる。その唇が、また動いて、空気が押し出されて声になる。ボッカの国の言葉だろうか。

「マタ オ アイ マ ショウ」

さきほどより力強くしっかりと、ボッカは言った。薄い金属板がたわんで揺れるような声。ロッカはようやく理解した。

「またお会いしましょうって、言っているの」

ロッカは意味と意図を知り、衝動にかられた。彼の顔をなで、唇に指を置きたかった。そのグレーの瞳に吸い込まれ二度とその球体から出られなくなってしまいたかった。

「マタ オ アイ マ ショウ」

「またお会いしましょう」

「マタ オ アイ マ ショウ」

「しましょう」

「シマ ショウ」

「きっとよ」

「キッ トヨ?」

「きっとっていうのは、きっとっていうのは、だから、ぜったいよってこと、ぜったいそうしてほしいって私が思っているって、そういう言葉」

「キッ トヨ?」

「よ、はいらない、きっと」

「キット」

「ありがとうボッカ、選んだ言葉、さようならじゃなくて」

きっとボッカには伝わらない。

 ボッカは右手を左胸の上に置いて、深々と頭を下げた。そのむこうに、山々が覗く。煙はもう吐いていない。あやとりの向こうにのぞく顔。ロッカも右手を左胸の上に置く。しかし彼女は頭は下げず、その姿は小さな王女の戴冠式ように、クマたちから見えた。

 

 

 

 

-了-