ボッカとロッカ

This is a work of fiction.

22

 家に帰ると、ロッカがノートになにか熱心に書き込んでいた。また習い事をさぼったのかと思ったが、聞かずにマーシャは洗い上がった食器を食器棚に片付け始めた。お茶を入れて、ロッカのマグカップにも注いでやる。ロッカは顔をあげた。ママは?と尋ねるが、ロッカは首を振った。マーシャは時計を見る。

「ママ、今日仕事休んでたよ。具合悪いんだって。でも帰って来たら、もういなかった」

マーシャは紅茶をすすった。ロッカは再びノートに向かった。勉強ではないだろう。マーシャはわざとその中は見ないようにしていた。

「ママは、ほんとうにクマになるのが怖いのね」ロッカはなにかをぐりぐり書きながら言った。マーシャは答えなかった。

「私は怖くないのに」ロッカは続けた。「でも私も大きくなったら、クマになることが怖いって思うようになるのかな?」

「怖くなるかどうかは、わからないけど」マーシャは口を開いた。「あなたが大きくなったら、あなたは私のこと、疎ましく思うわね」

 ロッカはノートから顔をあげた。

「どうして?」

「きっとその頃になったら、私より、ママに寄り添っている」

「大きくなったらママの良さがわかるの?」

「私のことを、所詮は叔母だ、所詮はクマだと遠く感じる瞬間が、くるのよ」

「呪わないで」

マーシャは微笑んで、紅茶をすすった。ロッカは怒った。

「だったら私、寄宿舎に入ろう。たまにしか会わなければ、疎ましくなんて思わない、私の身体がいかに大きくなって、洗面所の前ですれ違えなくなっても舌打ちなんてしない」

ロッカはマーシャの腰に抱きついた。エプロンの下の毛が、彼女をやさしく包む。

「大好きよ、マーシャ。好きじゃなくなるだなんて恐ろしい。自分が自分でなくなるようで。クマになるより、ずっと恐ろしいわ」

「ロッカは、クマになっても、自分でいられると考えているのね」

ロッカはマーシャを見上げ、ちがうの?と尋ねた。

「コキョーに行くとね、わかるのよ」

ロッカはコキョーを思った。マーシャも思った。

「私、コキョーの夢を見たの」ロッカは言った。「ねぇ、コキョーの話を聞かせて。マーシャはあそこに呼ばれてなにをしているの?あのクマたちと、マーシャはおしゃべりできるの?」

マーシャはやさしい目で、ただ瞬きをした。ロッカは諦めた。

「クマのことは、クマにしかわからないの?」マーシャはロッカの頬を、爪で押し上げて笑顔を作った。マーシャも微笑んだ。

「ハルが怖いのは、正確にはね、クマになることじゃないと思うの」

マーシャは言った。「あの子が怖いのはね…あなたとママが、まったく別の生き物だって、思い知らされることが、怖いのよ。あなたが産まれてあの子は、ようやく…心からの友だちができたと思ったの。あなたたちは、共鳴し合って生きてたの。ほんとよ。まだ目も見えていないあなたとあの子は、見つめ合って同時に泣くことも、笑うこともできた。だけどそれがあなたが大きくなるにつれて遠のいて…」

 ロッカは、ボッカが売り払ったカメラのレンズを思った。それからコキョーのクマたちのぽっかり空いた口を、そのまんなかでぽつねんと座っているマーシャの後ろ姿、彼女たちがたむける線香の煙の向こうに立ち上る、小さな石像を思った。あれは、じぶんたちの、人としての墓なのだと、ロッカは今わかった。マーシャはロッカの頭を撫で、柱時計を見上げた。