ボッカとロッカ

This is a work of fiction.

21

 シャーッとカーテンが開かれて、暗闇の会議室が急に白い空間に変わり、スライドを見ていた職員とマーシャは目をしばたかせた。まだ昼か、とマーシャはため息をつく。時間が経つのが遅い。「えーというわけで今ご覧いただいたように、スモークキングの現在の噴火レベルは2に落ち着き、降灰予報は一旦休止しました。山頂直下のごく浅いところを震源とする体に感じない火山性地震は、今期間やや少ない状態で経過しています。火山性地震、火山性微動の発生回数は以下のとおりです…」

マーシャはあくびをした。

「レベル2じゃ、一般の入山規制は解除できないだろう」職員たちは難しい顔で頷いている。

「なんとかそこ、レベル1にできないものですかね」

「値引きじゃないんだからさ」

職員たちの小さな失笑が室温を変える。

「レベル1になったとしても、噴火のイメージが残っている限りどうしても客足はにぶくなりますよ」

「まあともかく、まだ時間がかかるってことか」

「山開きまでにはなんとかなってほしかったんですけどねぇ」

「ロープウェーの話、どうなってんの」

「やあ、やはり資金が、まだ」

「進んでないのかよ」

「やあ、予算が」

前回も同じくだりを聞いた。前々回も、その前も。マーシャは座り直した。ふたつくっつけたパイプ椅子のパイプ部分が、お尻に食い込んできて痛い。

「そういうわけで、クマちゃん企画、がんばってもらわないと」

ね、という勢いで、職員たちの張り付いた笑顔がこちらにむく。はあ、とマーシャは鼻先を見つめながら会釈をする。こういうときに、クマはちゃんがつくのでいいなと思う。象だったら、さん、だろう。

「で、えー、マーシャさんのほうから餌やり体験はちょっとということでしたので、他の案を今日はざっくばらんに、ええ」

「どうぶつタレントとして売り出すのはどうでしょう。パンダのように自治体にお金が入る形として」

「しかしマーシャはパンダとちがって個人の意思があるだろう」と町長。

「それに、海外に行っている間ずっとホンモノのクマとしていなければならないのはきついと思います」

「検疫の問題もあるし」

意見を言った職員はボールペーンをくわえた。「いいと思ったんだけどな」

「あくまで、人をこの町に呼ぶための施策を考えましょう。町にお金を落としていってもらえることを考えないと。いったんロープウェー資金のことは忘れて」

この町の大人がロープウェーのことを忘れることなんてできるのだろうか。ロープウェーさえあれば、あの切り立った山にも人が運べ、絶景をのぞむことができる。うつくしい山に頼るしかない小さな町。

 マーシャは手をあげた。隣にいた職員がガタリと音を立てて驚き、すぐさまそのことを恥じてテーブルに散らばった書類を音をたてて揃える。他の職員たちは少し背をただす。マーシャが自ら意見を言うことなどほぼなかったことだからだ。

「冬の話ですが」

職員たちが一斉に身を乗り出す。町長は、よりあたたかな作り笑いを作る。

「冬ね、うん」

先が聞きたくてたまらないというパフォーマンスを続ける町長の目をそらし、マーシャは言った。

「あの、背中の毛を、触られてもいいです」

ほう…という、どっちつかずのため息がもれる。顔を見合わせる職員もいる。全体的に、肩すかしだったようだ。マーシャは負けずに続けた。

「冬は、背中の毛は、とてもやわらかで気持ちが良いそうです。自分では、わかりませんが…」トムの案だった。動物園では、クマは餌をやることしかできない。職員である自分だけがさわることが出来、惜しいなと思っていたのだそうだ。

「どうぞ、まだ冬毛が残っていますから、ためしに触ってみてください」

職員たちが、顔をまた見合わせ、パイプ椅子を鳴らしながら、それじゃあ、など言いながら、マーシャの背中にまわる。少し緊張をする職員たち。最初の男が手を伸ばし、背毛に手を埋める。おお、と思わず職員の口がほころぶ。次、いいですか。どうぞどうぞ。職員たちが次々に、マーシャの背毛を触る。マーシャは固く目をとじる。わあ、と女性職員の笑顔がこぼれる。町長もどうぞ、じゃ、失礼するよ。おお、これは。室内の空気が軽やかになり、皆がまた自席へと戻って行く。

「すばらしい体験でした」進行役の職員が言った。頷きあう職員たち。

「しかし、いや、これはすばらしいけれども、少し、人を呼ぶには地味じゃないかね」

残念そうな顔を作って小さく頷きあう職員たち。マーシャは恥ずかしくなって俯いた。

「一回さわってもらえれば、わかるのになぁ」残念そうに首を振る職員。

町長は「しかしありがとう。これからもそうやって、君自身から意見がもらえると、こちらは大変ありがたい」と真摯に伝えた。

「なにかと組み合わせたら、うれしいんじゃないかしら。冬は写真と、さわることもできるって」

うんまあそうだな、と、職員たちは頷く。マーシャはたたみかけた。

「逆に、暖かくなると、肉球が柔らかくなってきます。冬は、肉球は固いんです」

肉球、という言葉の響きに、職員たちの半分は色めきだった。

「クマと握手なんていうのは」いいですね、と会議室が沸く。「しかしそれ一本というのは弱い」「なにかと組み合わせれば」またその繰り返しだ。「冬期は背中をさわれ、夏期は肉球」ホワイトボードに大きく書かれると恥ずかしい。

 活気に溢れ出した会議室の中で、「クマの肉球を食べる人種がいるらしいですね」誰かが小さな声で他の職員にささやいている。「美容にいいとかで。爪はお守りにしてネックレスにするんだそうです。密猟で、高く売れるんですよ」

 他の職員がごまかそうとして、蜜の新しい味の試食がありますんで今から回しまーす、と甲高い声をあげた。全員、ほっとした顔をし、さきほどのささやきは聞こえなかったふりをしているが、高く売れるというのはいくらだろうと考えていることはマーシャから見て明らかだった。それは、マーシャも同様だった。私の手が切り落とされるのと、握手や背毛で稼ぐのと、どちらがロープウェーに近づけるのだろう。ロープウェーができたら、私はひっそりと暮らし、このバカげた会議にもでなくてすむのだろうか。