ボッカとロッカ

This is a work of fiction.

5

 パイプ椅子をふたつくっつけて、その上に大きな(自作の)クッションを一枚ひいても、長時間になってくるとさすがに尻が痛くなってくる。マーシャは気づかれない程度に、左右に尻の重心を動かして、痛みを逃がす。

 折りたたみ式のぺらぺらの合板の長机に向かっている町長も、職員の男も、当然使っている椅子はひとつだが、彼らはパイプ部分が尻に当たらないからだろう、未だ尻に痛みはきていないようで、世間話とマーシャへの感謝をミルフィーユにして延々垂れ流している。そうしてようやく「いえね」と町長が両手を組んで机の上に置き、身を乗り出してきた。「本当にマーシャには感謝しているよ、君はこの町の目玉だ。今や、あの山脈と同じぐらい、君を求めてこの町に人がやってくる」マーシャはあいまいに視線を流した。「私たちは…この町の人間は、この町を観光地として、もっと発展させたいと思っている。そうだね?」マーシャは肩をすくめた。自分にそんな気持ちがあるかないかわからなかった。「とくに入山禁止の今は、君しか町に人を呼べないんだよ、そこで…もっと本格的に、売り出してみてはどうかな?と、ま、今日はそういう話なんだ。提案だな」

 マーシャはゆっくりとまばたきをした。頷きも、首をかしげもしなかった。マーシャが背にしている窓の外から、鳥の羽ばたきが聞こえた。町長は小さく咳払いをする。

「今やっていることは…」町長が職員の男に促す。職員の男はバサバサと書類の束をめくり、「くまのマーシャの蜜シリーズと毛糸の帽子、靴下の販売、森の小屋の見学ツアー、森の中でくまのマーシャとの写真撮影、森の中をくまさんとおさんぽ体験…」

うむ、と町長は頷く。

「あのー、ほら、この前のクリスマス、トナカイを呼んだ町があったろう、あれは、なにをしたっけ」

「はい、写真撮影と、餌やり体験です」

「うさぎやモルモットとの、ふれあいのやつは」

「三十分抱き放題と、餌やり体験です」

「馬を呼んだときは」

「引き馬体験、乗馬、餌やり体験です」

「あなたがたは私に餌やり体験をやらせたいのですか」

マーシャは静かに言った。町長は慌てて手を振った。

「いやいやいやいや、たとえ、たとえだよ、こういう事例があるということだ、参考までにということで、な」

「はい、マーシャさんといっしょに、なにができるかを探っていければと考えています」

「改めて申し上げておきますが」

マーシャは冷製な口調で二人を見た。

「クマが、人間のふりをしているわけではありません」

「わかってるさ」

「あなたは」マーシャは若い職員に鼻先を向けた。職員は反射的に背筋をのばした。「お若いから、知らないと思いますけど、私も、ふつうの、人間だったんですよ、少し前まで」

「言わずもがなだよマーシャ、なかなかの美人だった」町長は慌てて手を振る。「いや、今もクマとしてたいへんな美熊だ、クマから見たらどうかというのは私にはわからないが少なくとも私たちから見れば…」

マーシャは町長の言葉を無視した。

「町のためと思って、二足歩行をする飼いならされたクマを『演じている』のです、観光客の前で」

「感謝しています」

「あなたは、大勢の人間の前で、人参スティックを差し出されて、それを噛み付くところを写真に撮られたいですか?」

「じゃがいもの予定です」職員が言った。「とおくから、投げるだけ」

「あなたは地面に落ちた土だらけのじゃがいもを食べるのですか?生の?」

「リンゴに変更も可能です」

「侮辱だという話よ」

 職員はごくりとつばを飲んだ。町長は目をとじ椅子に深くもたれた。マーシャは二人の顔を見比べた。職員は、顔を赤くした。しかしそれは、恥じたのではなかった。

「きぐるみだったらやりますよ」

「君」町長はたしなめた。

「僕が…人がホンモノかと見まごうほど精巧なクマの着ぐるみを着ることができたなら、地面に落ちたジャガイモを食べますよ。大きなボールに乗ろうとして失敗して尻餅ついて笑われもします。首に縄をつけて四つ足でうろうろ歩いたりもするでしょう。触らせてやってもいい。それでこの町に人が来て、この町が潤うならやります、僕は娘を学校に通わせたいんだ」

興奮した職員の肩に片手を伸ばし、町長は押さえ込むように揉んだ。

「あれはどうだ、山頂にパワースポットがあるという噂を流すってやつ…」

着ぐるみは脱げるから。マーシャは思った。着ている間は自分じゃないから、なんだって出来るのでしょう。

マーシャは窓の外を見やった。鳥はいなかった。