ボッカとロッカ

This is a work of fiction.

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 背中の毛がさわっさわっと揺れたから、マーシャは洗濯籠から顔を上げ、耳をすませた。黒い三日月のような爪は、腰のあたりでねじれたエプロンの紐を行ったり来たりしごいている。洗濯紐にぶらさがったシーツのような(事実シーツで作った)彼女のエプロンスカートが小さく風に揺れている。マーシャが振り向くよりも速く、その焦げ茶色の背毛に、彼女の姪は飛び込んできた。ロッカは鼻の穴を広げ、穀物のような匂いを肺一杯吸い込んだ。

「ただいま!」

「ずいぶんと早いんじゃない?」

「うん、ねぇ、マーシャ、聞いて!」

「また、ピアノをさぼったの」背中にロッカをくっつけたまま、マーシャはエプロンスカートを挟んだピンチを外しにかかる。

「今日はタップの日、ねえそれより、すっごいヘンなもの見たの」

「ママに言いつけますからね」

ロッカはマーシャの背から飛び退き、彼女の前に回り込んだ。

「マーシャ! 私の味方でしょう?」

「私は誰の味方でもありません」

「ママに言いつけるってことは、ママの味方ってことよ」

マーシャは一枚、また一枚と、洗濯紐からエプロンスカートを引き抜いて、洗濯籠に放り込んで行く。今日は降灰が少ない日だったから、まとめて洗濯をしたのだった。

「ねえ、そんなことより私の話よ、すっごい妙なの、ながーいはしごが身体にくっついた、首のながーいつるつるの男!」

「煙突掃除の人?」

「煙突掃除の人は、帽子を被っているわ、それに手袋も」

「そうだ、そろそろ煙突掃除を頼まないと」

「だから煙突掃除じゃないって、雰囲気だってどっちかっていうと…僧侶?」

洗濯籠を抱えて小屋に向かうマーシャの進路にロッカは回り込み、後ろ歩きで彼女に語り続けた。

「あんな人、見た事ないわ」

「旅行者でしょ」

「はしごをしょって旅行?」

「世の中、いろんな人がいるわ」

「いろんな叔母がいるように?」

ロッカの頭に大きな掌が乗った。その冷たい肉球にロッカは頬を何度もこすりつける。

 小屋の中に入ると、すぐ右手、天井まである巨大な檻のボルトを、つなぎを着た男が工具で締め直していた。ロッカは人がいることに驚き飛び退いた。

「わ、びっくりした。来ていたの、トム」

「挨拶なさい」

「こんにちは、来ていたのねトム」

男は顔をあげ、しかしロッカとは目を合わさず、その長い鼻をすすって会釈だけし、また作業に取りかかった。トムの目と目の間隔はとても狭い。そのうち一つ目になってしまいそう。私もそのうち一つ目になってしまうのかも…。ロッカは思わず自分の眉間をつまんで揉んだ。それから左手の壁一面に取り付けられた棚に向かうと、リンゴを取り出しかじりついた。マーシャは棚に洗濯物をしまい、かわりにシーツを一枚手にし、檻の中に入って行く。檻の中いっぱいにひろがる大きなベッドのシーツをはぎとると、ロッカも慌てて檻の中にかけこみ新しいシーツのはじっこをつかみ取る。二人はふんわりとシーツを宙に浮かせ、巨大なマットレスの上にそれを伸ばした。真新しいシーツの上をゴロゴロとロッカは転がる。シーツをつなぎ合わせてマーシャが作った特大のシーツ。そのつなぎ目の上に、ロッカは指の列車を走らせる。指の列車の両脇に、サボテンや、馬や、町が現れては消えて行く。

 工具入れを閉じる音がして、トムはマーシャに声をかけた。マーシャはしぶしぶ体重計に乗る。

「380kg」トムが声に出して記帳するので、言わなくてもいいのに、とマーシャは憤慨する。そして肉球と歯の具合を見て、トムは片手で挨拶し、そそくさと帰って行った。マーシャとトムは同い年の幼なじみだが、マーシャは決して彼を夕食に招くことはしなかった。今日のように、トムがロッカと(一瞬でも)同じ空間にいたことがバレたら、彼女の母親は烈火の如く怒るだろう。その理由をロッカはとっくに知っていたが、子どもらしく知らないふりをしている。